モチベーション革命?

  最近、若者のモチベーションに関する議論が盛んな気がして。多分去年出版されたモチベーション革命とかの影響だろうけど。そう言った議論でよく耳にする「今の若者は金銭や物質的な豊かさには固執していない」という話。モチベーション革命は、まさにこの事を前提として、今の若者は金よりもやりがいを重視してるから、ワークライフバランスなんてのよりライフワークバランス(好きな事で食っていく)を目指そうぜって感じの本なのです。

で、こう言った議論を目の当たりにして常々思うんだけど、

 

そもそも前提おかしくない?

 

普通にお金欲しいよ、ぼく。どっかの経済学者が年収800万以降の収入の上昇は幸福度に貢献しないって言ってたけど、年収2000万貰えたら何でもするよ。やりがいってのも勿論重要なんだけど、そもそもこう言った議論をしている人たち、ITベンチャーでやってくぜー的な若者を“現代の若者”ってしてないかな。バイアスかかってそう。なーんかそこに違和感を感じる。違和感違和感。

 

草食系男子って言葉とかのせいで、今の若い人と団塊の世代の人たちは違うって思いがちだけど、本質的にはあまり変わってないと思うんだよね。結局、いつの時代の人たちも大好きなのは金・暴力・セックスですよ。

 

おわり

就活近況

就活の話です。
ある程度お金貰えて、そこまで激務ではなくて、潰しが効いて、、、とか色々な要望を元に就活をしていたのですが、一月頃に納得出来るところから内定を貰いました。

ここまでは良いんだけど、最近周りの声が面倒すぎる。。家族は僕に対して寛容なので特にトラブルは無かった。けれど、全然関係ない奴らに就職先を伝えると、「なぜ多くの企業の中からそこを選んだのか」も併せて聞かれるんすよ。「おめーの知ったことじゃねーだろ」とでも返せば良いんだろうけど、僕はインキャなのでそこまで言えるはずもなく。。一々面接みたいな感じです。聞かれるだけならまだしもアドバイス(という名のマウンティング)されると死にたくなる。「絶対こっちの方がいいよ」とか「絶対後悔するよ」とか。。僕もバカではないので一応色々考えて就活してる訳です。だから、碌に業界も知らない人がその場で思いつく懸念事項なんて内定もらう前から既に考慮してるんで、、って感じ。

今今実感するんだけど、人とはちょっと違う選択をすると色々と面倒だなぁと。「どこに就職するの」と聞かれて京大経済だったらメガバンなりなんなり答えとけば「そうなんだ」で終わるんだけど、それ以外を答えたら逐一「なんで?」って聞かれるんすよね。。ある意味これがノブレス・オブリージュなのかも知れませんが(全然違う)

僕に限らず、ベンチャー行くなり大企業行くなりどこの選択肢を選んでも文句をいう人はいるんだろうね。電力会社に行く人は「電力自由化がやばいよ」総合商社に行く人は「配属リスクがやばいよ」銀行に行く人は「オワコンだよ」。。あるいはインフルエンサー達に毒された人たちからの批判とか。。

「ググれば5秒で分かるよ!」って事でアドバイスという名の批判をしてくる人がめんどいなぁって近況です。

卒業式

もうすぐ卒業式のシーズンだが、僕は卒業式が苦手だ。

卒業式の空気が嫌なのではなく、卒業式後の記念写真を撮影したり、グループに分かれて何かしようぜ感が苦手なのだ。小・中学生の時はまだ純真無垢だったので上手くやっていけてたのだが、高校生の時はその空気が嫌すぎて、楽しげに過ごす同級生を尻目に一人で帰ったし、帰宅後特にやる事もなかったのでずっと閃乱カグラで遊んでいた。

 

卒業式に限らず、成人式や同窓会といった行事でもそうなのだが「楽しい自分」を演出しなければいけない行事が苦手なのかもしれない。別にそういった自分を演出する義務があるわけではない。卒業式だからって成人式だからって、一人でぼーっと突っ立っているだけでもいいのかもしれない。でも、そういう状況に立たされた時、僕を上から俯瞰して見つめるもう一人の僕が存在し、客観的な視点から「孤立した」自分を想定してしまう。そしてそうならないように「楽しい自分」を演出せねばいけなくなるのだ。

 

他人から見て、客観的に見て、を気にしすぎているのかもしれない。。

僕以外にもこういったタイプの人はいるのだろうか

卒業式恐怖症的な。。

無職のおじさん

僕のバイト先には今年で50になる無職のおじさんがいる。

バイトをしているので厳密には無職ではないのかもしれないが、

そのバイトが「90歳のお爺さんの家事手伝い」という

信じられないくらい楽な仕事であるので無職と言ってもいいと思う。

 

そのおじさんがとにかく面倒臭い。

僕は基本どうでもいいことは軽く済ます性格で家事手伝いには向いていない。

おじさんにもその事でしばしば怒られるのだが

説教がうざい。

間違えた部分を訂正するだけならまだしも、そこからどんどん話を広げていき終いには「僕が社会でいかにやっていけないか」という話をし続けるのだ。

バイトを始めた頃は鍋の片付け場所を間違えて「君が社会でやっていけない30の理由」と題された手紙を渡されたし、半年前はポットのお湯を足し忘れて何故か「君がメガバンクではやっていけない3つの理由」をテーマに1時間説教された。

今日スカッとジャパンを見てて思った事だが、もし僕がそのおじさんに「いやでも君無職やん」とか「◯◯さん、僕の将来案じるより自分の将来気にしたらどうですか」とクールに言えたらスカッとするだろうな。

 

 

多分刺されるけど

 

おわり

 

 

「賢い」ってなんだろう

賢いってなんなんだろうね。世間は東大生に対して「賢い」って言葉を投げかけるけど、彼らは(彼らの一部は)「そんなことない」って言う。勿論謙遜の意味も込められているんだけど、どうも本気で言っている人もいるみたい。世間と東大生との間における「賢い」の解釈がちょっと違う。今回はそんな話です。

 

僕が思うに、「賢い」人には2パターンいます。

 

① 情報処理能力が高い人

 

② 「考える」ことが得意な人

 

この二つ。前者は与えられた情報を元に、考えたり行動したりするのが得意な人。後者は情報その物について考えることが得意な人です。大学受験(特に文系入試)で問われる「賢さ」は圧倒的に①です。だって、余弦定理の証明を理解することよりも、それを使えることの方がよっぽど点につながるもんね。逆に大学での学習で問われる能力は②かなー、と思います。ミクロ経済とか計量経済の教科書なんてほとーーんど証明証明&証明だもんね。高校と大学で問われる「賢さ」のギャップのせいで「入学時の成績と卒業時の成績には相関関係がない」って話になるのではないでしょうかね。高校の時に圧倒的に賢かった人(それこそ東大京大主席クラス?)って大抵効率のいい①に該当するような人であるわけで。そんな人たちが大学に入って急に「考える」ことが求められるようになる。その時に初めて自分がアカデミックの世界に向いてないって気づくんだろーね。

 

冒頭の話に戻ると、世間の人たちは① ②の「賢さ」を統合して「賢い」という言葉を定義している。でも、「そんなことない」という東大生は②こそが「(アカデミックな世界における真の)賢さ」だと思い、「自分は①タイプの人間だっただけで、本当は賢くありませんよー。」って言ってるのかもしれないね。

 

因みに僕も①型人間です。大学には間違いなくトップレベルの成績で受かったけど、所属しているゼミで一番勉強ができません。原理なんてどーでもいいわって思っちゃうんだよね。こういった「賢い」ギャップに苦しまないように、センター前の受験生は自分がどっちに属する人間か考えといた方がいいかもね。

 

おわり

最悪殺せる

みなさん。心の底から

 

「殺す!!!」

 

って思ったことありますか。無いって答えた方。正解だけど間違いです。倫理的には正しいけど精神的には良く無い。今回僕は「最悪殺せる」理論を提唱したい。このマインドを身につけることで日本の自殺率や鬱発症率は格段に減ると思っている。

 

世の中生きてるとやっぱり理不尽に怒られたり嫌われたりすることってあるじゃないですか。その時「やっぱ俺ってダメだなぁ…」ってなる人っていると思います。でも、それじゃダメなんです。心の底から「殺す!!!!!」って感情になりましょう。勿論本当に殺すわけではないですよ。でもこう思っていると次第に「最悪こいつナイフで刺したら死ぬわけだし、まあいっか」ってなります。自己嫌悪に陥るよりよっぽど健全で健康的です。

 

このコロスマインドを基盤に新興宗教でも作ったら儲かるのではないでしょうか。MOTHER2の「ハッピーハッピー教」をもじって「コロスコロス教」なんて如何でしょうか。

 

「会社で上司に無視されてて….」

 

大丈夫。最悪殺せます。

 

「東大に落ちて学歴コンプで…」

 

大丈夫。東大生もバットで殴ったら死にます。

 

圧迫面接されて…」

 

大丈夫。どんな企業の人事でも、例えそれが外資系トップ企業でも、後ろから角材で殴ったら殺せます。

 

どうですか。コロスマインドで世界が救われますよ。みんなも今日から辛いことにあったら自己嫌悪に陥る前にこう思いましょう。

 

「殺す!!!」

 

 

おわり

 

 

MOTHER2 ギーグの逆襲

MOTHER2 ギーグの逆襲

 

 話に少しだけでたMOTHER2ミニスーパーファミコンに搭載されると思ってたんだけど、されなかった。名作なのでやりましょう。ペンシルロケット20は縛ろうね。

風俗的コミュニケーション

風俗って言ったことありますか。あのエッチするところです。

 

僕はめっちゃ風俗好きなんだけど、風俗に行くたびにネガティヴな感情を抱きます。

 

「俺、コミュ力ねえな….」

 

って。

 

僕と面識のある人はおそらく「いや、お前めっちゃ話すやん!!」って思うかもしれない。実際にそう。僕はコミュ力はある方だと思っている。でもそれはインキャ相手の話。コミュニケーションってダンガンロンパ的な感じだと思ってる。自分の会話のネタ(コトダマ)を相手に合わせて打っていく感じです。僕が持ってるコトダマは「勉強」「アニメ」「ゲーム」「アイドル」といったもの。つまり、インキャ集団にマッチしたコトダマなんです。だから相手が陽キャになってくると急に喋れなくなる。

 

本当は高校なりで「自分はインキャ特化型人間なんだ」って気づくんだろうけど、僕の場合高校は偏差値75くらいのところ、大学は京都大学っていうカシコい大学に通っていたんでそれに気づけなかった。だって周りインキャばっかだったし、その空間の中で陽キャって呼ばれているような人たちも世間的に見たらインキャなわけで。要するに高校大学ともに僕はインキャしか居ない世界で暮らしていたんです。だから自分はコミュ力あるとおもってた。

 

でもそのプライドも風俗に行くたびに崩れるんです。コミュニケーションの相手は風俗嬢。いわば陽キャ界のトップを走るような人間です。そうなってくると僕はどうしようもなくなる。だって風俗嬢にプリパラの話したって「何言ってんだこいつ…」ってなるに決まってるじゃん。だから僕は風俗行くたびに「かわいいね」「おっぱい大きいね」「気持ち良い」しか言えなくなります。

 

これが良嬢(僕のような人間でも優しく扱ってくれる人)だったら良いんです。自然に話つなげて盛り上げてくれるから。でも、新人だったりすると話は別。すごいことになります。

 

今日もセクキャバっていうおっぱい揉めるキャバクラみたいなとこに行ってきました。一人の嬢と15分くらいイチャイチャしてそれを三回繰り返すってとこなんですけど、1・2人目の嬢が新人だったんです。その嬢との会話内容は

 

嬢「○○ですー。よろしくねー!」

 

ぼく「よろしく!めっちゃかわいいね!」

 

嬢「そんなことないよー、でもありがとう!」

 

ぼく「おっぱい大きいね!」

 

嬢「触って良いよ!」

 

おわり。

20分中会話はこれだけです。あとは「ぼくがひたすらおっぱいを舐めて嬢が喘ぐ」っていうのが20分続くのです。周りが盛り上がってキャッキャしてる中。もー地獄ですよ。僕の人生で一番辛かった時は高校の時に自律神経失調症にかかって学校に通えなかった時なんですけど、それの次くらいに辛かった。途中おっぱい舐めながら「帰りてぇ…」って呟いてましたもん。

 

勿論この話を聞いて「それは風俗嬢が悪い」という人もいるかもしれない。でも、ぼくも悪いんです。その風俗嬢にあった話題を的確に言っていればあの苦行はなかったかもしれないし、なんならライン交換もできていたかもしれない。要するにぼくの陽キャ用コミュ力が欠けていたのが悪いんです。

 

こういった苦い経験をするたびに陽キャ用の話題身に付けないとなーってなるんだけど、実際そういった店で働いてる子ってどういう話したら盛り上がるんですかね。知ってる人いたら教えてください。

 

 

 

あーーーーー、色々と疲れた。ガヴリールドロップアウト見て寝ます

 

おわり