バカになりたい

バカになりたい。別に僕が賢いって言いたいわけじゃない。僕は捻くれてるだけ。今言ってるバカってのは「知能がない」っていう意味のバカじゃなくて「バカ正直」って意味でのバカ。何でも聞いたことをそのまま素直に受け止めるタイプの人間、そんな人間になりたい。中学生とか高校生の頃はニヒルで穿った物の見方で生きるのがかっこいいしそれが人生生きていく上で一番賢いんじゃないかって考えてた。確かに、今でも捻くれた人間の方が人生失敗する割合は低いと思う。だって騙されにくいもん。

 

でもさ、バカの方が捻くれ者よりもぜっっっっったい人生幸せだよね。

 

そう思う理由として、例えば宗教。信者の方には失礼だけど、あれをバカ正直に信じれる人間って相当な幸せ者だよね。だって死後救済されるんでしょ。死ぬの怖くないじゃん。僕は捻くれてるから「神が死を救済してくれる!!」って言われても「その神って死ぬのが怖かった昔の人が適当に作っただけじゃね?」ってなるの。その時点でもう人生の幸福度が違う。

 

そんな僕も昔宗教を信じていた。「オナ禁教。オナ禁っていうのはくそ丸という方が立ち上げたサイトをきっかけに始まった言うなれば一種の健康法のような物で「オナニーを辞めることで全ての悩みが解決されあらゆる女からモテる」というもの。この健康法はその「モテる」という性質とその手軽さから主にネットのバカを中心に広まっていった。

その中に僕もいた。まだ中学一年生の時だ。当時はまだネットを始めたばかりで、ニコニコ動画流星群」や「七色のニコニコ動画」をみて胸が熱くなっていた頃だったオナ禁の事を知ったのは確か冬の頃。どういうきっかけで知ったのかは覚えていないが兎に角言いようもない期待感に満ち溢れていたのは覚えている。それからは完全に信者。オナニーなんて毎日して当たり前の中学一年生が完全禁欲を始めたのだ。学校から帰ったら毎日2ch健康板の「オナ禁の効果を報告するスレ」に書き込み、信者間で積極的に情報交換するレベルだった。仲の良かったユーザーが「オナ禁20日目、やっと電車で女が隣に座った!!!」という書き込みを見た際には「おめでとう!!!!!!」と我が事のように喜んだ、多分大学受かった時より喜んでたと思う

 

今でこそバカな話で「こんなこと信じてたなんてどうかしてる」と思うかもしれないが、当時は本当に楽しかった。当時の写真を見ても誰だお前っていうくらいイキイキしてるし。やっぱり何かに盲信して突き進むってすごく楽しいよ。でも、その「盲信」が肝。「盲信」するためにはバカじゃないといけない。今の僕みたいな捻くれ者がオナ禁を知っても「嘘松じゃん」の一言で終わってしまうのだ。

 

 

あーーーーーバカ正直になりたい。

俺もtwitterの泣ける話に感動したい。HIKAKINで笑いたい。踊ってみたで踊りたい。歌ってみたで歌いたい。嘘松になりたい。荒んだ大人になりたくない。

 

 

 

決めた。

 

Youtuberになろう。

 

おわり