京大模試学部一位(天才)による入試採点の話

僕の受験生の頃の成績を公開する。

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ご覧の通りすごく成績がいいこれは自慢。

 

先ほどの模試の成績を見た上で僕の本試験の成績を見て欲しい。

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正直この結果を見たときに漏れ出たのは

びっみょー......

という一言だ。それと同時に情けなくも感じた

 

受験生の頃の僕は先ほどの通り成績が良かったのもあってか(あるいはイキリにイキっていたためか)周囲にかなり期待されていた。受かるのは前提で首席も取れるだろう、と。その期待がどのくらいの程度だったかというと、受験後日、当時の学年部長に「ませませ、お前試験どうだった?」と聞かれて「まだ分からないけど、多分受かったと思います。」と僕が答えたら、「俺が聞きたいのはそういうことじゃない。首席が取れたか取れてないかを聞いてるんだ、そうだろ?」と信じられないくらいキザなセリフを吐かれるくらいだった。

 

何がダメだったのか。各教科の点数を見てみると、センターは良い。総合点にして822.4/900だったと思う。トップとは言えないまでもかなり上位の点数だ。二次試験はどうか。国語と外国語は悪くない。数学も普段よりは低いが試験の急激な難化を考えれば妥当。

問題は地理歴史だ。世界史が低い。模試では曲がりなりにも全国2位という成績を残していたのに。

 

何がダメだったのか、自分なりに考えたものを以下に記していく。

 

まず、参考として模試での僕の解答を見て欲しい。前者はトルコのイスラーム化の過程、後者は市民権が何たらといった問題だったと思う。

 

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受験生がいたら覚えていて欲しい。

これが京大世界史教授の嫌う答案だ。

 

この答案が嫌われる理由は二つある。一つは「受験ナイズドされすぎた文章であること」そしてもう一つは「教授の求めるレベルに達していない」ということだ。

 

前者について。入学してから分かった話なのだが、京大教授の一部、特に受験問題の制作に関わるような人たちは兎に角受験校を嫌う。何故だか分からないが洛南や西大和に対して「親でも殺された」かのような敵意を持っている教授がいるのだ。彼らは受験に汚された人間を嫌う。それゆえ彼らは山川世界史に脳を汚染された僕の文章を嫌うのではないだろうか。

 

後者について。これは前者と比べて根拠の薄い話ではあるが、教授の求めるレベルが高すぎるのではないかと感じる。思うに、彼らは入試問題作成にあたり受験生に対し「体系化された知識に基づいた、高度な記述」を求めているのではないだろうか。つまり、単なる事実の羅列ではなく、さらに発展したロジスティックでスマートでMECEでコンプリヘンシヴな答案を求めているのではないか。だから、僕の答案は「単なる知識の羅列」として片付けられてしまう。

 

でも考えて見て欲しい。果たして、「体系化された知識に基づいた、高度な記述」が書ける受験生がいるだろうか。いるはずがない。東大・京大生が天才であるというのは、単に「面白いから」そう言われているだけであって、実際は高校レベルの知識でさえ不完全なそこそこに勉強のできる学生集団なだけだ。

 

ここにギャップがあるのではないか。僕らは普通の学生なのに、教授の想像する学生像はマスメディアの作り上げる天才変人京大生であり、勉強のスペシャリストなのだ。だから、僕のような単なる知識の羅列(=一般学生の限界)は低く評価され、良くわからないまま単に用語を並べてそれっぽくした文章の方が高評価を受けるのではないか。

 

この二つが僕の感じる実際の受験と模試のギャップだ。見ているかわからないがこれを見ている受験生がいたらホドホドに参考にして欲しい。

 

 

以上でこの記事を終えるが、最後に一つだけ。

 

 

自分のこと天才だと思ってる東大京大生全員死なねえかなぁ...

 

 

おわり