「賢い」ってなんだろう

賢いってなんなんだろうね。世間は東大生に対して「賢い」って言葉を投げかけるけど、彼らは(彼らの一部は)「そんなことない」って言う。勿論謙遜の意味も込められているんだけど、どうも本気で言っている人もいるみたい。世間と東大生との間における「賢い」の解釈がちょっと違う。今回はそんな話です。

 

僕が思うに、「賢い」人には2パターンいます。

 

① 情報処理能力が高い人

 

② 「考える」ことが得意な人

 

この二つ。前者は与えられた情報を元に、考えたり行動したりするのが得意な人。後者は情報その物について考えることが得意な人です。大学受験(特に文系入試)で問われる「賢さ」は圧倒的に①です。だって、余弦定理の証明を理解することよりも、それを使えることの方がよっぽど点につながるもんね。逆に大学での学習で問われる能力は②かなー、と思います。ミクロ経済とか計量経済の教科書なんてほとーーんど証明証明&証明だもんね。高校と大学で問われる「賢さ」のギャップのせいで「入学時の成績と卒業時の成績には相関関係がない」って話になるのではないでしょうかね。高校の時に圧倒的に賢かった人(それこそ東大京大主席クラス?)って大抵効率のいい①に該当するような人であるわけで。そんな人たちが大学に入って急に「考える」ことが求められるようになる。その時に初めて自分がアカデミックの世界に向いてないって気づくんだろーね。

 

冒頭の話に戻ると、世間の人たちは① ②の「賢さ」を統合して「賢い」という言葉を定義している。でも、「そんなことない」という東大生は②こそが「(アカデミックな世界における真の)賢さ」だと思い、「自分は①タイプの人間だっただけで、本当は賢くありませんよー。」って言ってるのかもしれないね。

 

因みに僕も①型人間です。大学には間違いなくトップレベルの成績で受かったけど、所属しているゼミで一番勉強ができません。原理なんてどーでもいいわって思っちゃうんだよね。こういった「賢い」ギャップに苦しまないように、センター前の受験生は自分がどっちに属する人間か考えといた方がいいかもね。

 

おわり